私たちが幸せということを考える時も、この人間はみんな違うのだということを抜きにしては考えられません。私の楽しみは必ずしもまわりの人の楽しみではありません。また、私が幸せだと感じる生活が、必ずしも他の人の幸せにはならないのです。
私は、本当の幸せとは、自分の幸せが、まわりの人の幸せになるような幸せではないかと思います。私が幸せだと思うことが、まわりの人にいやな思いをさせたり、他の人を傷つけているようでは本当の幸せとはいえないと思うのです。
私たちは自分が楽しくはしゃいでいる時、まわりの人のことが見えなくなってしまいます。また、自分が幸せにひたっているときも、他の人のことが見えなくなります。ですから、私たちの場合はややもすると、私ひとりの楽しみ、私ひとりの幸せになってしまいます。
私の楽しみが、まわりの人の苦しみにつながり、私の幸せが他の人の不幸になるようなことでは、あとあじの悪い楽しみになり、心の底からよろこべる幸せにはなりません。それで私は、本当の幸せとは、私の幸せが、そのまま他の人の幸せになるような幸せではないかといったのです。
それは、こうしたら幸せ、ああなったら幸せということではないのです。幸せを定型化したり、枠にはめることなどできません。また先に考えましたように、人間は、それぞれ何に幸せを感じ、どのような状況に幸せを感じるかが違うのです。
表面的にはどうであろうと、自らの幸せが、他の人の幸せになれば、それは本当の幸せであるといっていいと思います。
ところが、悲しいことに私たちの場合、なかなかこうはなりません。私の幸せが、他人の不幸になったり、反対に、他の人が幸せにひたっているときに限って、自分は不幸だと感じるようなことがよくあります。
なぜ、そうなるのでしょうか。どこに問題があるのでしょうか。どうしたら私の幸せと他の人の幸せが一つになるのでしょうか。このような、私たちにとって一番大切なことを、お説きくださったのがお釈迦さまです。そこでそのお釈迦さまに、また、そのお釈迦さまの教えを、お念仏においてあきらかにしてくださった親鸞さまに聞いていただきたいと思います。