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私の住んでいる村は、春になってもときどき雪が降ります。春の雪はべたついてあまり美しくないものですが、庭の紅梅の上に積もると少し素敵な景色になります。
庭に隅の小さな枯れた古池のそばに、立派な親鸞さまの銅像があり、高く大きな銀杏のきがその上を覆っています。そのわきに小さな紅梅がたたずんでいるのです。
その紅梅がさくころ、不思議とよく雪が降るのです。雪を被った紅梅は、手ぬぐいを姉さんかぶりした娘さんみたいに見えます。そんな紅梅を見るのが母は好きでした。
母がこの村に来たのは、戦後10年ばかりたったころでした。私が幼いころ、なぜこの村に嫁いできたのかと聞きましたら、私の父に連れられて初めてこのお寺を訪ねたとき、ホタルが星のように本堂を包んでとてもきれいだったからだと答えていました。
歌の好きな母でした。古い庫裡は、雨が降るとそこらじゅう雨漏りだらけになりました。父は結核で寝ていたので、雨漏りをバケツや空き缶で受けるのは私たち子どもの仕事でした。いくつ空き缶をならべても雨漏りはひどくなるばかりで、私たちは泣きそうになります。すると、母は雨漏りのリズムにあわせて「雨あめ降れふれ…」と歌いました。私たち兄弟は、雨漏りの夜も楽しく眠ることができたものでした。
そんな母が良く口ずさんだのが、「ありがとう」の歌でした。母は子供だった私に、「浄土真宗は優しい教え、感謝の教えなんよ」と、楽しそうに言い、「正信偈(しょうしんげ)」のお経本を開いて、「「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」と書いてあるでしょう。無量寿とは仏さまの大きな優しい心のことなんよ。仏さまの優しい心がはたらいて、みんな優しい仏のこになるおしえなんよ。わかる?」と、一生懸命に説いて聞かせてくれました。そんな時の母は本当に楽しそうでした。
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